ネルルちゃん
この冬、父が入院したばかりのころ、母が淋しいのではないか、少しでも気がまぎれるかなと、ネルルちゃんというおしゃべり人形(トミー製)を、姉と相談して買ってみました。
人形とわかっていても、その愛くるしい顔立ちと、抱き上げた時の重量感。
頭を撫ぜたり、手を握ったり、話しかけたりすると、可愛い声でいろんな会話を発し、時には歌まで歌ってくれます。
設定をしておくと、決まった時間に「おはよう」と目を開け、
「おやすみなさい」と目を閉じる。
「ようできとるな~」と言いながらも、母は笑顔で話しかけ、抱きかかえ、寝る時は添い寝をしているそうです。
母でなくとも、可愛い声で「とんとんして、きもちいい~」なんて言われると、思わずとんとんしてあげたくなるのです。
父が亡くなった後、どんなにか母の事を心配しました。
とても仲の良い夫婦だったので、どちらが先に逝っても、残されたほうは、落ち込んでしまうとばかり思っていました。
毎日のように病院に面会に行き、だんだん弱っていく父を見つめていたので、少しづつ覚悟ができたのか、父が病気の苦しみから解放されて、母もある意味安堵したのか、意外なほどに母は落ち着いていてくれたのです。
義母は、夫の蔵書からこんな本を持ってくるように要望します。
読むわけではないけど、こんな本を読む人でありたいのでは?
母は、こんな唱歌の本をいつも枕元に置いています。
女学校の時コーラス部だったんやと自慢そうに次々と歌ってくれます。
義母はたびたび転倒するので、介助を必要としているが、人を呼ばすに動こうとするので、ベッドにセンサーが付いていて、立ち上がるとヘルパーさんが駆けつけるようになっています。
もう何度もしりもちをついて、圧迫骨折をくりかえしては、辛い思いをしているのです。
それでも義母は、動くたびに人を呼ぶのは遠慮があるようで、センサーが感知しないように上手く動いて、ヘルパーさんを困らせています。
母のほうはといえば、ヘルパーさんの言われたことを忠実に守り、ただただ「ありがとう」「すみません」を繰り返し、おだやかに健康に暮らす日々。
簡単に言うならば、義母は賢いおばあちゃんで、
母は、かわいいおばあちゃんと表現されるのかな。
私はどっちのおばあちゃんになるのかな?なりたいかな?なれるのか?
可愛いおばあちゃんは、皆に好かれて得かもしれない。
どんなに年とっても、自分の意思を優先に行動したいと今は思うけど、人の世話になるということは、どこかで腹をくくらなければならないのでしょう。
世話にならない人生を送られれば、それにこしたことはないのだけれど。
もうすぐとうとう60歳。
ふとそんなことを考えるようになりました。
ホームへは花好きな母のため、いつも二人それぞれ同じ花を持参します。
きょうはユリを買ったら、いつものお花屋さんは、バラをちゃんと2本おまけしてくださいました。
毎日水を替え、水切りをする母の花も、1週間が限界。
花が枯れてしまうと、長い間私が来なかったように思うらしいので、
「花の枯れないうちに訪問しよう」が、最近の私の目標です。
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