« 桃の節句にはコレ | トップページ | ビオラ、ヘブンリーブルーが咲きだした »

2015年3月 5日 (木)

切なすぎる子どもたち

学生の頃、実家が隠岐の島で民宿を営む友人がいた。
夏休み、大阪から6~7人でおしかけ、緑の風の渡る牧場やどこまでも澄み切った海に抱かれ、大自然を満喫した。
私にとって小さな離れ島が大好きになった最初だったように思う。
その後も2度ほど隠岐へ行ったし、海外旅行も離れ島ばかり選んできた。

その友人の実家のある島が、西ノ島だった。
この一週間、なんとも冷酷残忍な事件を報道するたびに、被害者の少年が、あの隠岐の西ノ島で小学生時代を過ごしたと、見覚えのある美しい島の風景が映し出される。

いちがいに、田舎に居たから、都会に居たからこんなことになったとは言い切れないと思うけど、ずっとあの島に居ればこんな目に逢うことはなかったろうと、あの島の雄大さを知っているだけにそう思ってしまう。

どの子も生まれた時は、純粋無垢な赤ちゃんで、幸せな人生が送れるよう親は願いを込めて名前を付ける。
みんな素敵な名前を持って産まれ、同じスタートに着いたのに、なにがどう屈折してしまったのか?
やはり周りの環境、そばに居るはずの大人の役目は大きいと思う。
見て見ぬふりをしたり、逃げたりしないで、大人は子どもを守ってやらなければならないのに、それもままならぬ環境が増えていることは確かなようだ。
こどもの6人にひとりは貧困だという信じがたい統計を見ても、地域で見守ろうにも、踏みこまれるのを拒むデリケートな立場の人も多く問題はそう簡単ではない。
生活に追われて、こどもの心に寄り添う時間が無い親も多くなる。
細かい配慮の行政の助けや、何らかの形でバックアップできる近隣の助けが必要だと思う。

         今年はじめてつくしを見つけました2015_03040005

|

« 桃の節句にはコレ | トップページ | ビオラ、ヘブンリーブルーが咲きだした »