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2012年10月17日 (水)

やっと東北へ

2012_10140008仙台空港に降り立って見渡すと、大小の航空機が行きかい、快晴の空は心地よく、あの震災直後の悪夢のような津波に押し寄せられる仙台空港と同じところに立つ自分が信じられないようでした。
夫の仕事を兼ねて、3日だけの東北です。

夫の仕事をすませ一泊目は鳴子温泉。
二日目は海岸線へ出て北に上ります。
気仙沼~陸前高田~大船渡
一日ではなにも出来ないけど、ほんの少しでも活性化に役立てば、そんな思いで被災地に入りました。

ふだん写真を撮っていると、自然の広さや奥行きを画像に収めきれないじれったさを感じますが、やはり被災地の実際は、TVで見るよりはるかに大きく、広く、痛々しい。
打ち上げられた巨大な船を見上げて立ち尽くし、この高さまで津波が襲ったのかとビルを見上げては圧倒され。
当時の恐怖ははかり知れません。

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飴のように曲がった窓枠。4階まで、津波が来たことがよくわかります。
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まだまだ多くのガレキが
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家屋の土台だけが広がる町にもコスモスが咲いていました。
人々の暮らした跡は、一年7カ月経った今もそのまま。
みんな今どこで、どんな暮らしをしているのでしょう。
少しでも前に進んでいるでしょうか?
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2012_10140025復興市場で食べた、まかない丼。
安くて美味しかったよ。
食堂の壁にいっぱいのサイン。
全国から訪れた大勢の人々の声援が聞こえます。
少しでも協力出来ることをと、サンマや鮭をたくさん買って、友人に送り、孫たちにもいっぱいおみやげを買いました。

花巻温泉に泊まるため、岩手の内陸へ
柳田國男の遠野、宮沢賢治の花巻
資料館や博物館を観てまわりました。
本で読んだ地がそこにある。それだけで心わくわくでした。
貧しいけれど、温かい昔の人々の暮らし。
昔から人間は自然と闘い、自然と共に暮らしてきたのですね。

花巻空港から飛び立って、眼下に見下ろす北上盆地のパッチワークのような田園風景は、ため息が出るほど美しい秋色でした。

この美しい東北に元気が戻りますように。
ほんの一部分しか見ていませんが、あらためて、東北の復興はまだまだこれからだと感じました。

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コメント

pencilぴぴさんへ
東北の方はやさしくて遠慮深いので、あまり声高に被害の重さを語られませんが、あの被災地の様子を見ると、こんなに月日がたっているのに、その当時はどんなに悲惨だったろうと胸が痛くなりました。
一日も早い復興を願わずにいられません。
家族に囲まれて、温かい家に住み、豊かな食事のできることにもっと感謝しなくてはと思いました。。
お友達も、はやく落ち着いた生活をとりもどせるといいですね。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年11月14日 (水) 21時54分

友が釜石に居ます、東京に避難していた時に会い
話を聞きテレビで見た光景よりも怖い思いを感じました。
今は友も釜石に帰り不自由な生活をしています、
私も行って何か役にたつ事ないかなと思いつつ
何もしていない自分が悔やまれます。
元気な声を聴かせる事しかしていません。

投稿: ぴぴ | 2012年11月12日 (月) 15時47分

pencilゆさんへ
お返事遅くなってすみません。
私が見た海岸線は、ほんの一部分で、南も北もまだまだ続いているのだと思うと、その被害の大きさに圧倒されました。
TVでさんざん見てある程度知っているつもりでしたが、息をのむってこういうことですね。
復興にはまだ程遠く、阪神大震災の時のようなわけにいかないのは、やはり津波と原発のせいなんでしょうね。
なんとか将来への見通しが少しでも早くつきますように。
東北は遠くて、往復航路を使っても、滞在は少ない時間でした。
いつかゆっくり行きたいと思います。
花巻からは伊丹空港です。
伊丹空港からは高速バスで京都まで50分
京都から電車で30分
そんな経由で帰りましたよ。


投稿: ネモフィラブルー | 2012年11月 6日 (火) 15時06分

ネモフィラブルーさん、お久しぶりです。
こうして記事にしてくださってありがとうございます。
被災された方にとって、忘れないでいてくれること、それがどんなにかうれしいことでしょう。

私が実際に訪れたのは、まだ宮古だけなのですが、田老地区の堤防の内側がすべて土台だけになっているところを実際に目にしたときは、息をのみました。
何度か道の駅めぐりで通ったことがあり、家が建ち並んでいるところも、覚えていたからです。

まだ行っていない県南の沿岸にも連れて行って子どもたちに見せておきたいと思っていますが、まだ実現できないでいます。

がれきも前ほど騒がれなくなりましたが、まだまだたくさんあることを再確認しました。ありがとうございます。

投稿: ゆ | 2012年11月 1日 (木) 23時20分

pencilムムムさんへ
お元気でしたか?
私もボツボツしか記事を書けませんが、書くことで元気でいることを知らせることになるのだと思っています。
長い間のブログ仲間にコメントを寄せたり、もらったりするのは、やはり励みになります。
つれづれさんちのけっさんも気仙沼でがんばってるし、ムムムさんの息子さんも宮城でがんばってるんですね。
頼もしいですね。
時とともに風化しないよう、がんばってほしいです。
はじめて、みどりをペットショップに預けて旅に出ました。3日間は限界です。
東北は遠いので、もっとゆっくり行きたいのですが、いつになるのやら?
鳴子温泉はにごり湯でホッとしましたよ。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年11月 1日 (木) 21時34分

ネモフィラブルーさん、お久しぶりです。時々寄せていただいては記事を拝見しております。アクションになるまで時間がかかり、遅ればせながらのコメントとなります。
ご自分の足で現地に立たれた様子を拝見できました。
胸に訴えてくるものは、テレビや新聞の写真でみるのとは大違いでしょうね。復興予算が他省庁の事業に回されているという新聞記事にあきれるばかりです。
息子が今年4月から宮城県の応援部隊として一年間の予定で派遣されています。やらねばならないことは山積みのようですね。今朝もラジオで、他府県から応援に来ているが、まだまだ人が足りないとか。
徐々に寒気が押し寄せるなど、冬に向かう気配があり、東北はもう寒くなってきているでしょうが、せめて気持ちが温まるような出来事があるといいですね。
私も訪れたら復興市場でどっさりお土産を買うことにします。
鳴子温泉では、ほ~っとされましたか。

投稿: ムムム | 2012年11月 1日 (木) 13時52分

pencil吾亦紅さんへ
この目で見ないとちゃんと実感できないのではないかとずっと思っていましたが、自分の健康上の理由で一年七か月も経ってしまいました。
やはり、東北は遠いです。
やっとガレキが片付いて、主な道路が補修されたってところです。
どこでどう町の形を作り、人々が生活できるようにしないと、人々はかえってこなくなるのではと思います。
元気をとりもどしたように見える部分はほんの少しで、故郷を追われ、家族を亡くた人々はどんなに辛い日々だろうと察します。
個人でできることは、ほんのわずかです。
天災とあきらめるにはあまりにも大きな犠牲を払わなければならない東北の人たちに、これからも少しでも協力していきたいと思います。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月30日 (火) 08時43分

こんばんは~~
東北に行ってこられたのですね~~
ご主人様とご一緒で良かったですね
写真を拝見しながら、あの日の事が
思い出されます、3月10日は誕生日
でしたが、バイクで転倒して右腕骨折
で痛みをこらえ、テレビを見ている
時でした、画像が次々津波のすざまし
いさを写し、唖然としたのを今も忘れ
る事が出来ません、復興の予算が他の
処に使われたり、役人任せの行政の
有り方に、被災地の方はどんな思い
かと心が痛みますね~~
現地に行かれたら思いも新たにされた
事でしょうね、お買い物も沢山されて
想いが届いた事でしょう~~

投稿: 吾亦紅 | 2012年10月25日 (木) 22時15分

pencilロココさんへ
1年7か月も経っているのに、海岸線は奥深くまで壊れたままのビルや、土台だけの屋敷跡、高いガレキの山で、実際に見ると改めて被害の大きさに驚きました。
見ている私たちでさえ辛かったあの当時。
現地の被災者の方たちは、あの日々からきょうまで、どうしてすごしてこられただろうと心痛みますね。
国の予算、復興予算は最優先で復興だけに使ってよとTVに向かってヤジっています。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月21日 (日) 00時02分

pencilhiroさんへ
地図で見ると、私が訪問したのは、被災地のほんの一部分です。
車で走りながら、延々と続く被害の後に、実際に見ることの重要さを知りました。
せめて方針だけでも早く決めて町の再生に取り掛かってほしいものです。
仮設住宅も見ましたが、またこの冬も仮設なのかと気の毒になります。
まだまだ忘れないで、せめて被災地の生産物を買い求めることだけでも続けようと思っています。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月20日 (土) 23時50分

pencilつれづれさんへ
仙台空港へ降り立った時、ああここがつれづれさんの住んでたところだと思い、気仙沼では、この近くにけっさんが働いているんだと思いました。
鳴子温泉は、にごり湯でいい温泉ですね。
以前、つれづれ夫婦がこけしを買い求めていらしたことを思い出しました。
私の病のきっかけは、大震災でした。
きちっと現実を直視できるようになるまでに、1年半かかったことになります。
けっさんのような若者が復興の力になって、きっと元の東北にも戻るよう願っています。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月20日 (土) 23時41分

こんばんわnight
ネモフィラさんの記事を読みながら、あの時テレビで見た津波の様子が、
マザマザと甦ってきました。
家々が次々に飲み込まれ、逃げまどう車・・・それが一瞬で飲み込まれ、
なんだか現実ではない様な・・・本当にせつない・・・。
平和な地にいて他人事ではいけないですよね・・・。

投稿: ロココ | 2012年10月19日 (金) 20時53分

ネモフィラブルーさん、こんにちは~♪
震災から1年7ヶ月も過ぎたのに、
まだこんな現状なのですね。
私も震災直後は募金等をしましたが、
それ以後は何もしていません。
せめてもの協力にと、産地の果物やお魚など
店頭にあれば、買うようにしています。
最近ではマスコミ等も被災地への関心が
次第に薄れているようですね。
ブルーさんのように現地を訪れて現状を
知ったり、それを広めていくことは
非常に大切なことだと思います。

投稿: hiro | 2012年10月19日 (金) 14時05分

ネモフィラブルーさんお疲れ様でした。
旅の疲れはでていませんか?
東北の懐かしい風景にウルウルしました。
鳴子のお湯は よかったでしょ。私は東北で一番好きなお湯です。
気仙沼の息子の話からも 復興は順調ではなさそうです。
いろんな人のいろんな事情が絡み合っているのでしょうが
国がもっと 地方に自由にできるお金を
ドーンと渡してくれればいいのにと 思います。
息子が被災地で仕事をしていることは 本当に母として
うれしいです。現場をしっかり見て たくさんのことを
学んできてほしいと思います。

投稿: つれづれ | 2012年10月19日 (金) 13時59分

pencilマウンチョさんへ
仙台から車で走りながら、それでもほんの一部分しか訪ねられず、その被害地のあまりの広さに改めて驚きました。
三陸のお魚はとても美味しくて、帰ってからも東北の魚を見つけては買うようになりました。
福島のくだものも美味しいし、今はそんなことでしか協力できないのは、じれったい想いです。
もう一度、今度はゆっくり行ってみたい東北でした。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月19日 (金) 11時11分

pencilHappyばあばさんへ
一度行かねばと思っていたので、やっとといった旅でした。
ほんの一部分なのに、こんなに広い地域がと思うとやはり現地に来なくては何も見えてなかったんだなと思いました。
1年7か月も経つのに、生活感がもどっていません。
海岸に住めないのなら、集団移転もと思うけどそれも進まないのでしょうか?
復興予算が横流し状態では先が思いやられますね。

投稿: ネモフィラブルー | 2012年10月19日 (金) 11時02分

TVでしか様子を知らないので,実際に訪れられたネモフィラさんは 今回の旅でいろんな事を思われたでしょう・・・。
復興までは 気の遠くなるほどの時間が必要です。
現状を忘れないで,みんなの問題にしにといけませんね。

投稿: マウンチョ!! | 2012年10月18日 (木) 07時30分

ネモフィラさん、いい旅をなさいましたね。
私もこの目でしっかり見て、皆さんを元気づける何かをしたいと思いつつ、いまだ何もできない始末です。
まだまだたくさんの問題がありますが、被災地の皆さんに少しでも笑顔が増えるように・・と願っています。

投稿: Happyばあば | 2012年10月17日 (水) 23時30分

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