比良の暮雪
吹雪の日は彦根の母のところへ行くのが大変です。
北へ向かう湖岸の道は、北西の強風で、一寸先も見えない、怖いほどの吹雪の日もあります。
それでもなるべく行ってやりたい。 最近はいつもiPadを持参して、大好きなみどりの画像を見せたり、音楽を流してやったりしていますが、軽くうなずいてもほとんど無表情です。
ただ私が訪ねると、ほんの一瞬、こぼれるような笑顔を見せてくれます。
それだけを見たいために、私はきょうも足を運びます。
父が亡くなって以来、父のことをまったくと言っていいほど口ににしません。
義母のことも、まったく尋ねることがありませんし、こちらも強いて話すことはしません。
どれだけ理解しているかわかりませんが、一人残ってしまったことはきっとわかっているからこそ何も言わないし、聞かないのでしょう。
座ることはもちろん、寝返りもできないけれど、なにひとつ愚痴を言わず、静かに眠っていますが、片手を握るともう一方の手をそっと重ねてきます。
動けないので硬直してきた足をさすってやりながら、私の陣痛のときは、母がずっと私の背中をさすってくれていたな~と遠い日を思い出します。
帰路の夕暮れ、湖岸を走って琵琶湖大橋近くになると、対岸の比叡の連山に真っ赤な夕日が沈み、琵琶湖がキラキラと輝きます。
比叡に連なる雪の比良山系。
近江八景のひとつ「比良の暮雪(ひらのぼせつ)」です。
白洲正子は「得体の知れない魅力に取り付かれた」と表現している近江には足しげく通い、多くの本を書いています。
白洲正子『近江山河抄』より
「比良の暮雪」という言葉がある。
下界には桜が咲いていても、比良山にはまだ雪が積もっており、夏になっても消えないことがある。それなら「残雪」といってもよさそうだが、「暮雪」でないとおさまりが悪い。
ある秋の夕方、湖北からの帰り道に、私はそういう風景に接したことがあった。
どんよりした空から、みぞれまじりの雪が降りはじめたが、ふと目をあげると、薄墨色の比良山が、茫洋とした姿を現わしている。
雪を通してみるためか、常よりも一層大きく、不気味で、神秘的な感じさえした。なるほど「比良の暮雪」とは巧いことをいった。比良の高嶺がほんとうの姿を見せるのは、こういう瞬間にかぎるのだと、その時私は合点したように思う。
早咲きの菜の花も少し咲いてきましたが、まだまだ春は遠い夕暮れの比良です。
父と二人で過ごした比良の麓での4年間の美しい四季は、母の夢に出てくるのでしょうか?
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