ちょっと書きたかったので
若い人に明るい未来を保証できない日本って、どうなってしまうんだろう。
夫は仕事柄、とんでもない不況を目の当たりにして、これから先が見えない不安に、多くの経営者が弱りきっていると言う。
TVのニュースを見ると、なんだか経験したことのない恐さを予感してしまう。
明日の生活もままならない若い人が、ダンボールをひいて寒さを防ぎ、公園のベンチで一夜を過ごす。
夫がリストラされ妻も仕事を探すが、子供を預ける施設が無い。
寮を出ようにも引越し費用が無いので、食器を売るという若者は、100円くらいかな?と言う。
こんな映像がこれでもか、これでもかと流れる毎日。
痛ましくて涙がこぼれる。
街を歩いたり、ブログのお花を見たりして日々生活していても、世の中の変動には気づきにくい。
指の間からこぼれ落ちそうな人々の姿は見えない。
いつもと変わらず、スーパーは物であふれ、先日までのガソリン騒ぎはどこへやら、道は車であふれ、夜ともなればクリスマスのデコレーションであふれている。
先日、両親と義母のホームへ行った。
暖かい部屋、豊かな食事、1日おきのお風呂、充分な医療。
自分のそばでおこっているこの理不尽さに、戸惑ってしまう。
この矛盾はどうして生まれたのだろう?
この豊かさが保証されるのは、すべてが上手く廻っていかなくてはならない。
一箇所が崩れ始めると、がたがたと音をたてて崩れ始めるのでは?
痛ましい若者達の将来が見えない時代は、これから老いていく私達にとっても、どんなに不幸なことか。
子どもも安心して産めない、生きるのに精一杯で家族も持てない。
そんな若者達が増えることが、どんなにこれからの日本にとって深刻なことか。
ドバイの今をニュースステ-ションでレポートしていた。
ただ、ただ驚いた。
あのばかげた繁栄を象徴する砂上の楼閣は、もう崩れ始めている。
日当500円で日雇い労働をしている外国からの出稼ぎ者のスラム街。
この暑い都市で毛皮を売るブランドショップ。
光と影が同時に映し出され、、まるで今の世界を象徴しているようだった。
人間は、何を犯してしまったのか?
人の生きる原点に還ろう。
シンプルに暮らすことの大切さを思い出そう。
助け合って生きることの重要さを思い出そう。
ピンチをチャンスに替える英知を若い人たちに見せられるよう、大人はがんばろう。
哲学の無い時代にしないで!!
心からそう叫びたい。
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