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2006年11月14日 (火)

遊びをせんとや生まれけん

7~8年、20数年ぶりに保育園という職場に戻って、驚いたことがあった。
1歳位から、定時におまるに座らせて排泄指導をしている。
少し早すぎない?、個人差があるんでは?そんなことに神経質になるより、他にやることがあるのでは?と思った。
「時期が来たら、自分からトイレに行きたがるんじゃないでしょうか?」とベテランの先生に尋ねたら、本当に真剣なまなざしで、「いつまでもおしめが取れなかったらどうするの?」との答えが。どんな小さな子でも、みんなが自分でおしっこをしていたら、おしめなんか「しなさい」と言ってもはずすに決まっている。
まがいなりにも自分ではじめてできた時に、「上手にできたねー。えらい、えらい」と満面の笑みを浮かべて、抱きしめれば(できるかぎりおかあさんが)もうおしめの取れる日は目前のはず。何のために急ぐのか?誰のために急ぐのか?
三つ子の魂というけれど、三歳までに教えて躾ることだと勘違いしてはいないだろうか?三歳までに、育った感性は大人になっても消えないという諺だと、私は思うんだけど。

人は生まれてから、限りなく多くの人と交わり、経験を積んで大人になる。
すべての五感を使って、体験したことこそ身につき、肉となってゆく。
親や先生は、その環境を整え、急がず見守り、共に喜び、悲しむこと以外何が出来るのだろうか?
その環境が今整っていない。
子供達から自由に遊べる、時間や、場所や、相手をうばったのは私達大人にほかならない。すべての学びがそにあるのに。

   遊びをせんとや生まれけん
   戯れせんとや生まれけん
   遊ぶこどもの声聞けば
   わが身さへこそゆるがれる   『梁塵秘抄』 

こどもが元気に遊ぶ声には、古今東西変わらず、心が高揚する。

11140001_2  20年前は、朝から晩まで子供の声であふれていたうちの前の公園。
木立も大きく育ち、美しく紅葉しているが、落ち葉や木の実を拾う子供の姿も最近はほとんどみかけない。

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コメント

とまとさんへ
わたしは、昔も今も塾の内容をほとんど知らないのですが、とまとさんのコメントを読んで思いました。
ほんとのお母さんが満たせない分、とまとさんが、注いであげる役目をすれば、ほら100%満タンになりますよね。
こんな時代、塾は親の役目も担っているのかもしれません。子供達をよろしくね。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 19時40分

塾の話は言葉足らずでゴメンナサイ。
きょうは嫌だって子どもが泣いていても置いて行ってしまう。お勉強が終わって、お迎えにきて下さいって電話をしても1時間も2時間も迎えにきてくれないお母さんが増えています。昔と随分変わりました。
教育はサービス業と言われます(笑)。

投稿: となりのとまと | 2006年11月15日 (水) 15時33分

chiyomiさんchiyomiさん
あきのさんの2行目を読みましたか?
大人になっても、おしめをしているのは普通の人じゃありません。
息子の子育てに口を出せないのは同じです。
それがいいのか、悪いのかわかりませんが、家庭平和のためです(笑)
きっと私達の親たちも、同じ想いをいだいてきたはずです。
一昔前なら、泣き寝入りしていた女性も、自由を勝ち取り、嫁も姑も女は皆元気です。
おばあちゃんは、孫のおもりをしながらそっと見守っていきましょう。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 12時38分

あきのさんへ
すいません。2行目で大笑いしてしまい、手が萎えてキーが打ちにくいです。
いつも、公のやることは、泥縄で、ちょっとこっけいとさえ感じます。
なんか勘違いしてないのかな?
義務教育の義務は子供が学校に行く義務ではないのに。親も義務だと思っていて、行かない、行けないことは重大事なんですよね。
子供は、自分が学校に行かないと、どんなに親があわて、悲しむかよく知っているのですよね。いじらしくてなりません。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 12時01分

micoさんへ
子供の受難のニュースを見るたび、親に愛情はどこへいったのか?と悲しくなりますね。
地域で子供を守ることを真剣に考えなければならない複雑な時代です。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 11時40分

misaoさんへ
今の地に越してきたとき、バスも通らず、学校も遠く、それでも車を持たず、子供達には、不便な生活を強いてきました。(経済的な理由もあるのですが)
それでも、(それでこそ)いまでも忘れられない思い出や事件ががたくさんあって、大人になった今、懐かしく大笑いをして話すことがあります。
若い時には、あまり気づかないと思うけど、疲れたときには帰っておいでと、里山の暮らしを大切にしていきたいと思っています。
misaoさんもそうでしょう?

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 11時34分

とまとさんへ
子供の小さいころ、お母さん同士でなぜ塾に行かせるのかと話題になったことがあります。おおかたの人は、塾に行かないとなんだか不安なのと、塾が子供の遊び場だからということでした。椅子にに座って、同じ方向を向いて遊んでいるのでしょうか?
私の子供の時代でも、塾に行かないという選択肢は、けっこう意思強固にしなければ困難でした。ましてや今はなおのことと‥‥
行ったほうがよかったのか、悪かったのか、同じ子供で、やり直してみることも出来ず、未だに結論は出ていませんが、親は、それでよかったのだと、自分に言い聞かせるしかありません。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 11時20分

oss102さんへ
最後のアナログ世代の私達は、懐かしんでいるばかりで、何が出来るのでしょう。
せめてブログで訴えるしか方法を知りません。

投稿: ネモフィラブルー | 2006年11月15日 (水) 10時57分

どうしょう どうしょう どうしょう・・・
子育ては終わったけど chiyomiさんには可愛い二人の孫が出来ました。
スイミングにも行ってます。四月からは幼児教室に週2回通うそうです。オムツはつけたままです。
昔は2才頃にはオムツは取れていました。今は紙オムツがよく出来ているので3才頃までは平気のようです。
いい話をいっぱい聞いても、息子のほうの孫には可愛がることは出来ても遠慮のあるchiyomiさんです。

投稿: chiyomi | 2006年11月14日 (火) 20時48分

まったく、おっしゃるとおり。
大人になってオムツをしているのがいることはいるのですが……それは死の近くにいるひとだけですからね。
みんな神経質になり過ぎていると思いませんか。学校中に電気をつけて、校長まで見回りをする…わたしだったら、そんな夜はしにませんよ。もっと自信をもって生きるべきですよね。この場合は校長が…。何だか人間がみんな小粒になってしまったと思いませんか。

投稿: あきの | 2006年11月14日 (火) 19時21分

幼い子供は大人が心から愛してあげるのが一番ですね。
こちらでも公園で遊ぶ子供がいなくなりました、
何だか寂しいですね。

投稿: mico | 2006年11月14日 (火) 16時47分

以前住んでいた街はここよりちょっぴり都会だったのですが、その町の広~い公園はいつ行ってもうちの息子達の貸切でした。
保育所や小学校にはおおぜい子供がいるのに・・・とても不思議に思いました。
子供のいない公園はなんだかうら寂しいですね。

“子供を人と比べて育ててはいけない”
これは教育者の方がよくおっしゃる言葉ですが、今の時代教育(育児)の現場にもなにか焦りのようなものがあるのでしょうか?
昔はハナたれ小僧やボロ服を着ていた子もおおぜいいたけど、今よりもずっと自由で自然で幸せだったかもしれませんね。
ネモフィラブルーさんの文章を読んで、久々に子育てについて考えました。
もう子育てはほぼ卒業しちゃったけど・・・

投稿: misao | 2006年11月14日 (火) 13時07分

こんにちは。
塾で仕事をしていながら思うことは こんな小さなうちからお勉強させなくても です。
親は自分の時間が欲しくて、勉強もみてくれる託児所がわりに置いていきます。泣いてぐずって勉強なんてできない日だってあります。抱っこしてネンネさせておきます。お迎えに来たお母さんは不満顔ですがねぇ。
スキンシップの足りない淋しい小学生も多いです。
家の近所の公園もだあぁーれもいません。

投稿: となりのとまと | 2006年11月14日 (火) 12時50分

見守るということが出来にくくなっていますね。日常が忙しすぎるのかゆとりがなくなっているのか。人と競争して勝ちたいのか。
公園が淋しいです。

投稿: oss102 | 2006年11月14日 (火) 11時12分

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